木を見て森を見ず?
本来は、
「物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。」
・・・ 故事ことわざ辞典 より引用
という意味なんだけど、本来は手段であるはずの技術や見栄えの良さにばかり目が行って、本来の目的というか本質が見えていないという点ではあながち間違った例えでもないのかなと。
この方、日本ではまだ流行の兆しもなかった10年以上も前から既にブッシュクラフトについて書かれていて、今日の日本におけるブームの先駆け的存在の人。
形だけ真似たり、あるいは一部だけを切り取って"これが〇〇だ!"という今の日本の状況は奇異に写っているに違いないんだろうな。
サバイバルとの違いに掛けてはいるが、さりげなく"Sustainableであること"にもしっかり言及していて、直ぐにオーバーユースになってしまって結局環境破壊になってしまう日本の過熱ぶりに警鐘を鳴らしているような気がするのは自分だけだろうか。
昔のバックパッキング系の書籍なんかを見ると、環境への負荷を考慮して敢えて焚火をしなくても済むように文明の利器であるストーブを持ち歩くことを推奨していたりするのだが、今じゃ焚火やクラフト目的にナイフ一本で山に入るキャンパーが増えてしまって自然に落ちてる枯れ枝や倒木なんかが根こそぎ無くなってしまっているとか...
酷いのになると、白樺の樹皮が着火に良いと聞いて生きている木から樹皮を剥いでいく輩がいるとかで、もはや本末転倒も甚だしい始末。
自分も自然に流れ着いた流木や枯れ枝なんかを集めて焚き火をするのが楽しいと思うし、どちらかと言うと現地調達する方の一人だけど、何が何でも現地調達でなければいけないとは思わないし、場合によっては焚き火無しでストーブだけで過ごすことも必要かなと思う。
ナイフ一本のシンプル装備が格好良いとか言うけど、現地調達が増えればそれだけ自然に負荷をかけることになる。
それならわざわざ重たい装備を持っていく方が余程スマートではないかと。
火おこしの方法や効果的な焚き火の仕方、寝床の確保の仕方など、スキルとして習得できた方が良いに決まっているが、それが目的となっては本来の目的からかけ離れたものになってしまう。
例えは悪いが、敢えていうとロールはできた方が良いけど、それが目的になってしまったら最早シーカヤックとは言えないのと一緒のような感じかな。
人それぞれ考え方が違うのでこれが正解というのは無いのかも知れないけど、本質だけは見失いたく無いなと思うのである。
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